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マチュ・ピチュ
マチュ・ピチュ(Machu Picchu)は、現地語では「老いた峰」の意味で、よく保存されたインカの遺跡である。ペルーのウルバンバ谷 (Urubamba valley) に沿う高い山の尾根(標高約6,750ft、2,057m)に位置し、山裾からはその存在を確認できない。しばしば《インカの失われた都市》あるいは《空中の楼閣》と呼ばれる。この遺跡には3mずつ上がる段々畑が40段あり、3,000段の階段でつながっている。遺跡の面積は約13Km2で、石の建物の総数は約200戸が数えられる。マチュ・ピチュには未だに解明されていない多くの謎がある。
ハイラム・ビンガムの遺跡発見
イェール大学の歴史家であるハイラム・ビンガムは、1911年7月24日、この地域の古いインカの道路を探検していた時、山の上に遺跡を発見した。ビンガムは1915年までに3回の発掘を行った。彼はマチュ・ピチュについて一連の書籍や論文を発表し、最も有名な解説「失われたインカの都市」がベスト・セラーになった。この本は、ナショナル・ジオグラフィック誌 が1913年4月号のすべてをマチュ・ピチュ特集にしたことで有名になった。また、1930年の著書『マチュ・ピチュ:インカの要塞』は廃墟の写真と地図が記載されており、説得力のある決定的な論文となった。以後、太陽を崇める神官たちが統治したとか、あるいは太陽の処女たちが生贄にされたといった定説が形成された。
マチュピチュとは間違えて付けられたといわれている説がある。遺跡に名前は決まっておらずビンガムが地元民にあれは何かと聞くと地元民は今、立っている山の名前を聞かれたと思いマチュピチュと答えたため、この遺跡はマチュピチュという名前なのだと間違って伝わったとされている。
ビンガムはイェール大学の教職を辞してから、コネチカット州の副知事、知事を経て上院議員になったが、彼のインカ調査への影響力は死後も40年近くにわたって強く残った。それは一つに彼の情熱的な文章のせいであった。
ただし、最近になり、マチュ・ピチュはすでにペルー人が発見していたという説が浮上した。それによると、クスコの農場主アグスティン・リサラガが、ビンガムより9年早い1902年7月14日にマチュ・ピチュを発見したという。真偽のほどは今後検証されるであろうが、ビンガムの息子がその事実を述べているということ、またこの人物について複数の証言があることからも、事実である可能性は高い。
最近の研究成果一方、第一人者としてのビンガムのマチュ・ピチュに関する発表や仮説がその後の研究の妨げになっていたのも事実である。
イェール大学のピーボディ博物館の館長リチャード・L・バーガー(Dr.Richard L.Burger)、並びにルーシー・C・サラザール(Dr. Lucy C.Salazar)らによれば、マチュ・ピチュはスペイン人によって追い詰められた最後の砦ではないとの結論となった。16世紀のスペイン公文書によれば、わずかに抵抗していた最後のインカ族は、「1572年熱帯の盆地の隠れ家で降伏した」との記述があり、それはマチュ・ピチュのような高地ではなかった。現在では要塞ではなく、インカ人が崇めていた太陽を観測するための建物群と推測されている。実際に、冬至・夏至の日に太陽がちょうど正面に現れる窓などが存在する。また、処女たちを生贄にしたといわれてきた台座上の遺構は、やはり太陽を観測するものであった。
また、ビンガムがマチュ・ピチュから運搬してきた多数の人工遺物が、1920年代のニューヨーク・タイムズ紙の包装のまま箱に梱包され、イェール大学の地下倉庫で眠っていた。サラザール博士はブロンズの宝飾品、道具類、骸骨片、特に壺について再調査を行った。その結果、壷の様式は全て、15世紀のものであった。墓の埋蔵物については、質素なものが多く、王族ではなく召使のものと推定された。
ビンガムは、同行した骨学者に「出土した骨は女性の骨が大半だった」との誤った報告を受けていた。チュレーン大学の身体人類学者ジョン・W・ヴェラノ(Dr.John W.Verano)の新しい研究で、骨は男女同じ比率であったこと、多くの家族と幼児が生活していたこと、また処女たちの共同生活を示すようなものはなかったと報告している。骨の分析では、結核や寄生虫のケースが見られ、また、トウモロコシの食生活による歯の損傷も見られるものの、ほとんどは大人で50歳以上の年寄りが多くおり、その結果ここでの生活はかなり健康的であったと判断された。また、骨には戦いの形跡は見られず、平和な生活をしていたと考えられる。幼年期に頭部に巻きつけられたもので頭部の変形しているものがあり、ある者は海岸地域やあるいはチチカカ湖方面からと地域によって異なる文化があったことがわかっており、遠方からやって来た職人たちであろうと推定された。高度な石積みの技術が必要なため、職人たちが呼ばれたと考えられている。王族がマチュ・ピチュで死亡した場合は、そこで埋葬されるよりもクスコに運んで埋葬されたと考えるのが妥当と結論づけられた。
カリフォルニア大学バークレー校のジャン・ピエール・プロツェン(Dr.Jean-Pierre Protzen)建築学教授は、石垣をぴったりと重ねて積む方法は石で石を叩いたり、削ったりしたと考えている。この方法を敲製(ペッキング)という。あらかじめ大きく割った石を、小型の叩石(ハンマー)で連続してトントンと細かく叩いて表面をならしてゆく方法である。この方法は、すでにプレ・インカ(インカ期以前の古い時期)から行われていたことがわかっている。
当時巨石文明が世界各地で見られ、その運搬手段は解明されつつあったが、マチュ・ピチュの場合は傾斜路を造る余地がないため、どうやって5-10tもある巨石を運び上げたかはまだ謎であるとしている。また、「ビンガムの発掘ノートは、何を発掘したかよりも何を食べたか、の記述が多かった」とも公表された。
最近の調査では、地下から焼けた跡が発見されたことなどから、スペイン人による侵略を恐れて住民が町を焼き払った、という説が研究者から指摘されている(『古代文明ミステリー 「たけしの新・世界七不思議」』、テレビ東京、2007年1月3日放送より)。
人口は最大でも750名遺跡には大きな宮殿や寺院が王宮の周囲にあり、そこでの生活を支える職員の住居もある。マチュ・ピチュには最大でも一時に約750名の住民しかいなかったと推定され、雨季や王族が不在の時の住民は、ほんの一握りであったと推定されている。
ペルーの考古学者アルフレド・バレンシア・セガーラ (Dr.Alfredo Valencia Zegarra)とコロンビアの水利技術者ケネス・ライト(Kenneth Wright)による調査では、この都市の建設に要した努力の60%は急傾斜の城壁の見えない土台などの部分に傾注されており、降雨量の多いこの地で、積み上げられた石積みが500年もの間崩れないのは、農耕のためだけに斜面を整地したのではなかった。渓谷から細かい砂と表土を運び上げ、現在見える石積みの下に、うね状に盛り上げた表層を造ったとしている。
神をまつる神殿としての役割なぜこのような急峻な山の上に造ったかという質問に対して、ラファイエット単科大学のナイルズ(Dr.Niles of Lafayette College)は、「パチャクチがこの場所を選んだのは……圧倒する景色としか答えようがありません」と言う。
イェール大学の近年の研究成果では、高地であり、かつ両側が切り立った崖上になっているため、太陽観測に最も適し、かつ宗教的理念として、太陽に近いところである、という点が場所選定の理由として挙げられている。
急斜面に位置したマチュピチュの頂上には、太陽の神殿があり、頂上にはインティワタナ(Intihuatana…太陽をつなぎ止める石)が設置されている。夏至と冬至が正確に分かる窓があるなど、太陽を使った暦を観測、作成したとも言われている。
インカの神は日本やエジプトと同じく太陽神であるため、太陽により近い山の頂(いただき)は儀礼場として適当だった。
神殿の畑など耕作地で栽培された農作物は神への供物として栽培されていたか、神が人間に下賜されたものとして人々に食べられたか、いずれにしても宗教儀礼的意味が色濃く反映されている。そのようないきさつから、現在、マチュピチュは宗教都市として捉えられている。
なおインカの人々にとっての神は、太陽とともに月も挙げられ、多くの遺跡には太陽神殿と月の神殿が対で祭られている。マチュ・ピチュの太陽神殿に対しては、ワイナ・ピチュ(「若い峰」という意味で、マチュ・ピチュの背後にある尖った山)の裏手に、月の神殿が洞窟に作られている。
登録基準関連項目外部リンクいずれも英語
資料'Lost City' Yielding Its Secrets 2003年3月18日付 New York Times記事
脚注
まちゆひちゆ まちゅぴちゅ
まちゆひちゆ まちゅぴちゅ
---------------------------------------------- 出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)
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