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ボスニア・ヘルツェゴビナ
ボスニア・ヘルツェゴビナは、東ヨーロッパの国家、地域。首都はサラエヴォ。バルカン半島の北西に位置する共和国。クロアチア、セルビア、モンテネグロと国境を接する。ユーゴスラヴィアからの独立時、独立の可否や国のあり方をめぐってボシュニャク人、クロアチア人、セルビア人がそれぞれ民族ごとに分かれてボスニア・ヘルツェゴビナ紛争を戦った。
国名公式の英語表記は、Bosnia and Herzegovina (バズニア・エン・ハーツェゴウヴィーナ)。ヘルツェゴウヴァイナとも。
日本語の表記は ボスニア・ヘルツェゴビナ、または ボスニア・ヘルツェゴヴィナ。
歴史古代・中世現在のボスニア、ヘルツェゴビナには当初インドヨーロッパ語族のイリリア人が住んでいたが、紀元前1世紀にローマ帝国の支配下に入った。その後、6世紀後半からスラヴ人が定住し始め、中世のころにはそれぞれ王国を形成していた。この地域は地理的環境から、カトリックと正教会の対立の最前線となり、両宗教の激しい布教争いの場となった。このため多くの人々はブルガリアから入ってきたボゴミル派に救いを求める。12世紀後半にはボスニア王国がボスニア、ヘルツェゴビナを統治した。
オスマン帝国統治時代leftのスタリ・モスト。ボスニア・ヘルツェゴビナの代表的なオスマン建築のひとつ。]]
15世紀後半までにはボスニア・ヘルツェゴビナの全域がオスマン帝国の支配下に入る。正統派のキリスト教勢力から弾圧を受けていたボゴミル教徒たちの多くはこのときイスラムに改宗した。またこのほかにもイスラム教に改宗した現地のスラヴ人、トルコなどから移り住んでボスニア・ヘルツェゴビナに定着したイスラム教徒などによって、この地方ではムスリムの人口比率が高まった。サラエヴォはオスマン帝国のボスニア州の中心となり、宮殿が築かれ、帝国の州知事たちによってオスマン風の都市建設が進められた。多くの住民がイスラム教を受容していたことや、その戦略的重要性のために、ボスニア・ヘルツェゴビナでは他のバルカン諸国に例がないほど文化のトルコ化が進行した。16世紀から17世紀にかけて、オスマン帝国がハプスブルク帝国、及びヴェネチア共和国と戦争を行った際に、ボスニアは重要な前哨基地としての役目を果たしている。
近代
19世紀後半、オスマン帝国の衰退に伴い、バルカン半島はオーストリア・ハンガリー帝国とロシア帝国の勢力争いの場となる。1875年にボスニア蜂起が起きると、この反乱を口火として露土戦争が起こった。戦後、ロシアの南下政策にオーストリアとイギリスが反対したことにより1878年に開かれたベルリン会議によって、オーストリアはボスニア、ヘルツェゴビナ、サンジャクのオスマン帝国主権下の施政権を獲得する。オーストリアは1908年、ボスニア、ヘルツェゴビナ両地域を併合した。このことがセルビアの大セルビア主義や、汎スラブ主義を刺激し、第一次世界大戦の一因となる。第一次世界大戦後、サン=ジェルマン条約によりオーストリア・ハンガリー帝国は解体され、セルビアの南スラブ連合構想に基づいてセルボ・クロアート・スロヴェーヌ王国が建国されると、ボスニア、ヘルツェゴビナはその一部となった。
第二次世界大戦郊外では枢軸国・民族主義者勢力に対する共産主義パルチザンによる伝説的な戦いスティエスカの戦いが繰り広げられた。このモニュメントは、この地で死亡したパルチザン兵士に捧げられたものである。]]
第二次世界大戦時、ボスニア・ヘルツェゴビナの大部分は、ナチス・ドイツの傀儡ファシスト国家であるクロアチア独立国の支配下に置かれた。クロアチア独立国の支配下では、クロアチア人の民族主義組織ウスタシャによって、セルビア人はユダヤ人、ロマ、反体制派などとともに激しい迫害を受け、数万から数十万人が各地で殺害されるか、強制収容所に送られて殺害された。また、これに対抗したセルビア人の民族主義者チェトニクによって、クロアチア人やボシュニャク人が大量に殺害された。この時代、フォチャをはじめとする各地で、ウスタシャとチェトニクによる凄惨な民族浄化の応報が繰り広げられた。これらの民族主義者や、ナチス・ドイツ、ファシスト・イタリア等に対して、多民族混成の抵抗組織としてパルチザンが結成され、ボスニア各地で戦いを繰り広げた。パルチザンによるユーゴスラビア人民解放反ファシスト委員会(AVNOJ)の第1回の会合はビハチで、第2回の会合はヤイツェで行われた。
社会主義時代
ユーゴスラビア連邦人民共和国が成立すると、1946年にボスニアおよびヘルツェゴビナ地方には、ユーゴスラビア連邦の構成共和国の一つとしてボスニア・ヘルツェゴビナ人民共和国が誕生した。戦後、共産主義国家として誕生したユーゴスラビア連邦では、クロアチアやセルビアなどが民族ごとの国家として誕生したが、多民族による混住が進んでいたボスニアでは特定民族の国家をつくることはできず、地域的な共和国としてボスニア・ヘルツェゴビナが置かれた。ユーゴスラビアがソビエト連邦と決別してからは、ユーゴスラビア独自の自主管理社会主義が導入され、経済活動や政治的権利はより下位の単位に移管されていった。
ボスニア・ヘルツェゴビナのムスリムたちは、多くの場面でセルビア人、クロアチア人、あるいはトルコ人と名乗っていたが、固有の民族「ボスニア人」としての扱いを求めていた。1974年にユーゴスラビア連邦の憲法が改定された際、ボスニアのムスリムは「ムスリム人」の呼称で独自の民族とされた。これは、連邦の中央政府の意向によって、ボスニア・ヘルツェゴビナを多民族混住の純粋に地理的な単位とみなす上で、ムスリム(ボシュニャク人)のみが「ボスニア」の呼称を使用することに対する懸念によるものである。
長らく民族間の緊張の少ない状態が続き、都市部では多民族の混住、民族間の結婚なども進んだ。また、いわゆる東側諸国とは一線を画したユーゴスラビア独自の路線によって、言論や文化的活動に関して他の共産主義諸国よりもはるかに多くの自由が認められていた。体制批判的な映画も製作され、またサラエヴォはユーゴスラビアのロック・ポップスの一大拠点となった。また、1984年にはサラエボオリンピックが開催された。
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争
1990年に共産主義独裁が公式に放棄され、多党制が認められると、ボスニア・ヘルツェゴビナではそれぞれの民族を代表する政党が議会の大半を占めるようになった。1991年にスロベニア、クロアチア、マケドニア共和国が相次いでユーゴスラビアからの独立を宣言し、クロアチアではクロアチア紛争が始まった。相次ぐ独立宣言や隣国での民族間紛争の勃発によって、次第にボスニア・ヘルツェゴビナの各民族間には緊張・不信が広がり、一部では武器を準備する動きも進んだ。
正教徒主体のボスニア・ヘルツェゴビナのセルビア人たちは、セルビアやモンテネグロとともにユーゴスラビア連邦に留まることを望んでいたが、イスラム教徒中心のボシュニャク人や、ローマ・カトリック教徒主体のクロアチア人はユーゴスラビアからの独立を望んだ(この3つの民族は互いに言語・文化の多くを同じくする一方、異なる宗教に属していた)。
1992年、ボスニア政府は、セルビア人がボイコットする中で国民投票を強行し、独立を決定した。3月に独立を宣言してユーゴスラビアから独立した。大統領アリヤ・イゼトベゴヴィッチなどの、数の上で最多となるボシュニャク人の指導者たちは、ボスニア・ヘルツェゴビナを統一的な国家とすることによって、自民族が実質的に国家を支配できると考えていた。これに対して、セルビア人やクロアチア人は、ボシュニャク人による支配を嫌い、独自の民族ごとの共同体を作って対抗した。クロアチア人によるヘルツェグ=ボスナ・クロアチア人共同体や、セルビア人によるボスニア・ヘルツェゴビナ・セルビア人共同体は、それぞれ独自の議会を持ち、武装を進めた。
ボスニア・ヘルツェゴビナ・セルビア人共同体は、ラドヴァン・カラジッチを大統領とする「ボスニア・ヘルツェゴビナ・セルビア人共和国(スルプスカ共和国)」としてボスニア・ヘルツェゴビナからの分離を宣言した。1992年5月にユーゴスラビア人民軍が公式に撤退すると、その兵員や兵器の一部はそのままスルプスカ共和国軍となった。また、ヘルツェグ=ボスナ・クロアチア人共同体も、マテ・ボバンの指導のもと、「ヘルツェグ=ボスナ・クロアチア人共和国」の樹立を宣言し、同国の軍としてクロアチア防衛評議会を設立し、クロアチア人による統一的な軍事組織とした。
2つの民族ごとの分離主義国家、および事実上ボシュニャク人主導となったボスニア・ヘルツェゴビナ中央政府の3者による争いは、それぞれの支配地域の拡大を試みる「陣取り合戦」の様相を呈し、それぞれ自勢力から異民族を排除する目的で虐殺や見せしめ的な暴行による追放を行う民族浄化が繰り広げられた。
1994年にはアメリカ合衆国の主導でボスニア中央政府とクロアチア人勢力との間で停戦が成立した。これによって両勢力はセルビア人勢力に対して反転攻勢をはじめ、またNATOによる空爆などの軍事介入も行われた。1995年に国際連合の調停で和平協定デイトン合意に調印し、紛争は終結した。
ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争終結後rightにかかる橋。トレビニェにて。]]
デイトン合意によってボスニア・ヘルツェゴビナは、ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦とスルプスカ共和国という2つの構成体から成る連合国家となった。民生面を上級代表事務所(OHR)、軍事面をNATO中心の多国籍部隊(平和安定化部隊、SFOR)が担当し、停戦の監視と和平の履行を進めた。また、紛争中の戦争犯罪者の逮捕と起訴、民族浄化によって移住を強いられた人々の帰還支援や民族間の和解に向けた取り組みが続けられているが、住民の強い抵抗によって帰還は遅々として進んでいない。選挙では民族主義政党が勝利し、民族間対立によって政治が行き詰まり、国外から派遣されるボスニア・ヘルツェゴビナ上級代表の強権発動によって政治的困難を打破せざるを得ない事態もたびたび起こっている。
2004年6月のNATO首脳会合で、各国首脳はボスニアの治安改善を考慮し、SFORの展開を2004年末で終了させることで合意した。2004年12月からはEUの部隊である欧州連合部隊 アルテア(EUFOR Althea)がボスニアの治安を維持する目的で展開している。EUFOR Altheaは順次部隊を縮小しており、当初7,000名であった兵力は2008年時点では約2,200名となっている。
政治国家元首
デイトン合意以降、ボスニア・ヘルツェゴビナの政治は国際的監視の下に置かれている。3つの主要民族から1名ずつ選ばれた代表者によって構成される大統領評議会が国家元首となる集団指導体制がとられている。大統領評議会の議長は8箇月ごとに輪番で交代し、議長は事実上のボスニア・ヘルツェゴビナの国家元首となる。
国際的監督
ボスニア・ヘルツェゴビナには、デイトン和平合意に基いて、国際社会の監督機関として主要国の代表者からなる和平履行評議会(PIC)が設置され、同評議会の下に上級代表事務所(OHR)が置かれている(コソボにおける国際文民事務所(ICO)に相当)。上級代表事務所の長は上級代表(HR)であり、デイトン和平合意を実施するに際して必要と認められるときは、直接立法権、人事介入権を含む強力な内政介入権(「ボン・パワー」)を発動できる。
議会ボスニア・ヘルツェゴビナ、および同国のそれぞれの構成体ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦およびスルプスカ共和国には、それぞれ独自の議会がおかれている。また、ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦を構成する10の県にも、それぞれ独自の議会が設けられている。
選挙中央政府とボスニア連邦では、2000年に実施された国政選挙によって、紛争勃発後初めて社会民主党を中心とする非民族主義政権が誕生した。しかし、2002年10月の国政選挙では非民族主義政権が伸び悩み、大統領評議会員選挙では3名とも民族主義政党出身者が当選するなど、結果的に民族主義勢力が伸張した。現在、政党はすべて民族ごとに結成されており、それぞれが民族的利益を主張するため、国政運営上の障害となっている。
NATO、EUへの加盟民族対立は完全に解消されたわけではないが、「欧州大西洋機構への統合」、即ちEU及びNATO加盟が民族を超えた共通の目的であり、ボスニア政府はこの目標に向かって国際社会の支援を得ながら諸改革に取り組んでいる。2000年12月、ボスニア・ヘルツェゴビナはユーゴスラビアとの間で正式な外交関係を樹立。警察改革や公共放送法の採択で進展があったため、EUは2005年11月7日に安定化・連合協定締結交渉の開始を承認した。
地方行政区分
1995年のデイトン合意の定めにより、クロアチア人およびボシュニャク人が主体のボスニア・ヘルツェゴビナ連邦と、セルビア人が主体のスルプスカ共和国という二つの構成体(Entitet)によって構成される。両者が権利を主張して合意に至らなかったブルチコについては、2000年の裁定によって独自の行政区「ブルチコ行政区」(Brčko distrikt)として、ボスニア・ヘルツェゴビナ中央政府の直轄地とされた。ブルチコは、憲法上はスルプスカ共和国とボスニア・ヘルツェゴビナ連邦の双方に属するとされているが、双方ともブルチコに対する実際の行政権は排除されており、事実上「第3の構成体」となっている。
一方、スルプスカ共和国には県に相当する自治体はない。
オプシュティナはボスニア・ヘルツェゴビナで最小の自治体の単位であり、日本の市町村やイタリアのコムーネ、ドイツのゲマインデなどにほぼ相当する。それぞれのオプシュティナは独自の議会と市長、閣僚を持っている。ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦には79、スルプスカ共和国には62のオプシュティナがある。
地理南部には海抜高度2,000mを超える山地が多い。アドリア海に沿ってディナル・アルプス(Dinaric Alps)が伸びており、国土の南西部は石灰岩によるカルスト地形で乾燥している。南西のネウム付近では、アドリア海に面して20キロメートル程の海岸線を持っているが、ネウム周辺に大きな港はない。ボスニア・ヘルツェゴビナは、海に面した国としてはモナコに次いで世界で2番目に短い海岸線を持っている。
国土の南部、ヘルツェゴビナ地方をネレトヴァ川が貫き、クロアチア領を経てアドリア海へと注いでいる。また、北部にはサヴァ川が流れ、クロアチアとの自然国境となっている。サヴァ川はその後セルビア領へと続き、ドナウ川に合流している。国土の北東にある、サヴァ川に面した町ブルチコは、ボスニア・ヘルツェゴビナの陸上交通とドナウ川の水上交通路を結ぶボスニア・ヘルツェゴビナ最大の港町である。サヴァ川の支流ボスナ川は、サラエヴォ近郊の山中から流れ出し、北に向けてゼニツァ、ドボイ、ボサンスキ・シャマツを経てサヴァ川に合流している。このほかにサヴァ川の支流としてウナ川やヴルバス川などがある。また、国土の東部にはドリナ川が流れ、セルビアとの国境となっている。
気候は、北部・ボスニアのサヴァ川流域を中心に大陸性気候、南部・ヘルツェゴビナのネレドバ川河口部が地中海性気候となっている。ボスニアは概して温暖だが冬は非常に寒く、一方のヘルツェゴビナ(特に石灰岩地帯)は10月~1月の冬場にかけて雨が多く夏が非常に暑い。
主要都市thumb
経済経済的には、オスマン帝国の支配時代から農業に大きく依存する貧困な地域であり、ユーゴスラビアの成立後もマケドニア共和国に次ぐ経済後進共和国であった。穀物栽培に適当な土壌が多いことから、かつては豆・タバコ・ザクロ・ぶどう・オリーブ・イチジク・メロンなどの農作物が栽培され、主要な羊の飼育地でもあった。しかし、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の影響から、農耕地の多くが現在 使用できなくなっている。
現在の主要産業は林業、鉱業、繊維業などであり、GDP(MERベース)は194億ドル(2008年)、一人当たりにして4,848ドルである<
ref name="autogenerated1"> < /ref> 。林業では松・カヤ・ブナなどが産出され、鉱業ではボスニアで大理石・建築用の石材、及び鉄・石炭・銅・マンガン・鉛・水銀など多様な鉱物が、ヘルツェゴビナではアスファルト・褐炭がそれぞれ生産される。しかし、失業率は48%(2006年現在)とヨーロッパの中でもトップクラスであり、特に若年層の失業とインフォーマル経済による景気低迷が課題である。
1992年の独立後、ボスニア政府はユーゴスラビア・ディナールに代わる独自の通貨の導入を決定した。しかし、ボスニア内戦時にはボシュニャク人支配地域ではボスニア・ディナール、セルビア人支配地域ではユーゴスラビア・ディナール、クロアチア人支配地域ではクーナがそれぞれ使用され、統一通貨の実施は遅れた。1998年1月、ボスニア政府は新通貨として兌換マルクを発表した。
国民民族住民はボシュニャク人が48%、クロアチア人が14%、セルビア人が37%などである。それぞれの民族の差異は主に宗教と歴史的経緯によるものであって、それ以外の言語・文化の面では3つの民族には大きな違いはない。それ以外の少数民族としては、ロマなどが住んでいる。
元々この地域には、ボシュニャク人、セルビア人、クロアチア人が概ね拮抗する割合で暮していた。その為、ユーゴスラビアが連邦制を実施する際、他の5つの共和国は主要民族に基づいて樹立されたのに対し、ボスニア・ヘルツェゴビナは地域を基礎として樹立された。
言語言語は、公用語がボスニア語、クロアチア語、セルビア語である。それぞれボシュニャク人、クロアチア人、セルビア人の言語とされるが、これらの言語は19世紀から20世紀末にかけてセルビア・クロアチア語と呼ばれ、同一視されていた。多民族が混住するボスニア・ヘルツェゴビナでは、実際には、民族ごとに言語が異なることはなく、住民は民族の別に関わらず地域ごとの方言を話している。自らの話す言語に対する呼称の違いは、ほとんどの場合話者の民族自認に基づいている。セルビア語はキリル文字、クロアチア語とボスニア語はラテン文字を用いる。
文化rightのソコルル・メフメト・パシャ橋。ミマール・スィナンによる代表的なオスマン建築のひとつ。]]
ボスニア・ヘルツェゴビナ2つの世界遺産が登録されている。モスタルにあるスタリ・モスト(古い橋)の周辺と、ヴィシェグラードのソコルル・メフメト・パシャ橋で、ともにボスニア・ヘルツェゴビナの代表的なオスマン建築である。
祝祭日※ボスニア・ヘルツェゴビナでは国で統一した祝日の法律が存在しない。(イスラム教徒、セルビア人、クロアチア人の間で合意ができていないため)
ギャラリー出身者
在外
関連項目参考文献
|author=千田善
|year=2002年11月21日
|title=なぜ戦争は終わらないか ユーゴ問題で民族・紛争・国際政治を考える
|publisher=みすず書房
|location=日本
|id=ISBN 4-622-07014-6
}}
|author=久保慶一
|year=2003年10月10日
|title=引き裂かれた国家―旧ユーゴ地域の民主化と民族問題
|publisher=有信堂高文社
|location=日本、東京
|id=ISBN 978-4842055510
}}
|author=佐原徹哉
|year=2008年3月20日
|title=ボスニア内戦 グローバリゼーションとカオスの民族化
|publisher=有志舎
|location=日本、東京
|id=ISBN 978-4-903426-12-9
}}
|author=岩田昌征
|year=1999年8月20日
|title=ユーゴスラヴィア多民族戦争の情報像―学者の冒険
|publisher=御茶の水書房
|location=日本
|id=ISBN 978-4275017703
}}
脚注外部リンク
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---------------------------------------------- 出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)
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