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高校野球
]] 高校野球(こうこうやきゅう)とは、日本における高等学校中等教育学校の後期課程の生徒高等専門学校の第1学年から第3学年の学生が行う野球大会のことをいう。
戦後の学制改革を経て継続しているため、旧学制による中等学校野球も一般的にはこれに含まれる。同様に、旧学制による高等学校野球とは異なる。

高校野球の概観

概観

高校野球は上は難関校から下は底辺校に至るまでの約4500校による戦いである。

主催

主催は、全国大会は日本高等学校野球連盟(高野連)と新聞社(選抜高等学校野球大会には毎日新聞社が、全国高等学校野球選手権大会には朝日新聞社)が行っている。この他、地方大会は各都道府県高等学校野球連盟などが主催する。

全国大会

名前の通り、高校生が高等学校の硬式野球部で行う野球のこと。特に阪神甲子園球場で行われる二つの全国的大会は「甲子園大会」と呼ばれ、日本で人気を博している。
毎年3月下旬から4月上旬にかけて開催される。秋季地区大会の成績などを参考に選抜された一般選考28校、特別選考の21世紀枠2校、希望枠1校、明治神宮枠1校の計32校で行われるトーナメント大会(明治神宮枠は獲得地区の一般枠を増枠する形となる)。地区大会の成績や選考次第では同一府県から2校以上の出場がかなう場合もある。優勝校には大紫紺旗が贈られる。尚、2008年の第80回記念大会は一般選考30校、21世紀枠3校、希望枠1校、明治神宮枠2校の計36校で争われた。
毎年8月に開催される。各府県1校ずつ、北海道は南北海道・北北海道の2校、東京都は東東京・西東京の2校の合計49校によるトーナメント大会。6月中旬から7月下旬(雨天順延で8月にずれ込む場合もある)にかけて行われる地方大会を勝ちあがった学校が出場できる。
国民的行事と呼ばれ、ときに社会現象となるほどの盛り上がりを見せる学生スポーツ最大の大会である。優勝校には大深紅旗が贈られる。尚、2008年の第90回記念大会は、第80回記念大会同様、埼玉、千葉、神奈川、愛知、大阪、兵庫の各府県から2校ずつ代表校が決定され、計55校で争われる。
毎年10月に開催される。選手権で成績上位の高校から選考された11校と開催地枠の1校によるトーナメント大会で、シーズン最後の全国大会。日程の余裕がないため、雨天中止が続いた場合にはダブルヘッダーの実施や同時優勝になることもある(1979年は、雨天の為日程が消化できず、ベスト4に残った4校が優勝扱いとなった)。
近年は国体の目玉種目となっており、2006年ののじぎく兵庫国体では会場の高砂市野球場に徹夜組が並び、2007年の秋田わか杉国体では会場のこまちスタジアムに高校野球としては球場史上最多の2万4000人が詰めかけた。公開競技であるため成績は天皇杯に加味されない。
毎年11月に開催される。秋季地区大会で優勝した10チームによるトーナメント大会で新チーム最初の全国大会。
出場校は各地区大会での優勝により翌年のセンバツ出場がほぼ確実になったチームばかりなので、センバツの前哨戦としての意味合いを持つ。同大会での優勝校所属地区は翌年のセンバツの出場枠を1つ多く獲得できる特典がある(明治神宮枠→但し2003年の34回大会以後)。なお、2007年の第37回大会では決勝進出の両地区に翌2008年のセンバツ出場枠が与えられた(記念大会のため)。
甲子園練習
春と夏の全国大会の開幕の前に、出場が決まった全代表チームの阪神甲子園球場での事前練習(通称:甲子園練習)が行われる。これは大会までに甲子園のグラウンドの雰囲気を事前に確かめるという目的があり、大会開幕の概ね1週間前から順次行われる。1チームの割り当ては概ね30~50分程度。
なお、夏の大会についてはプロ野球阪神タイガースの公式戦との日程調整の関係で午前中だけの開催となる場合がある。2008年選手権大会では、日程上の都合で施設見学のみが行われた。

地方大会

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  • 秋季都道府県大会
    • 新チームにとって最初の大きな公式戦である。地域によっては予めトーナメント方式やリーグ方式などで地域大会を行い、都道府県レベルの大会への出場校を決定する場合も多い。また秋季地方大会の前に新人大会を行い、秋季都道府県大会のシード校を決定する地域も見られる。成績優秀校は地区大会へ進出する。
  • 秋季地区大会
    • 北海道、東北、関東、東京、東海、北信越、近畿、中国、四国、九州の10地区でそれぞれ地区大会が開催される。東京地区が関東地区と別枠なのは、センバツの代表選考において、東京都は関東地方とは別枠で出場枠が与えられているためである。センバツの予選ではないが、この大会の成績が翌年のセンバツ出場校選考の際、非常に重要な資料となる。尚、この大会は明治神宮野球大会の予選を兼ねており、各地区大会優勝校が神宮大会出場権を獲得する。
  • 春季都道府県大会
    • 一冬超えたチームの力試しとなる公式戦である。特に九州、四国のセンバツ大会出場校は日程的な問題で出場辞退となる場合が多い(チャレンジマッチのみの出場や、予選免除で地区大会に出場する場合がある)。この大会の成績を基に夏の大会のシード校を決定する地域も多い。成績優秀校は春季地区大会へ進出する。
  • 春季地区大会
    • 北海道、東北、関東、東海、北信越、近畿、中国、九州の9地区でそれぞれ地区大会が開催される。甲子園には直結しない大会である。
  • 選手権大会地方予選(夏季都道府県大会)
    • 毎年6月中旬から7月にかけて開催され、優勝校は夏の甲子園に出場できる。3年生にとってこの大会で敗退することは夏の終わりを意味する。この大会で敗退したチームは世代交代が行われ、再び秋の大会へ向けて新チームが始動することとなる。
その他にも新人大会や1年生大会、地域リーグ、地方杯がある。通常、新入学生(1年生)の選手は夏の大会のみしか出場できない(春の大会は新学期の2年生、3年生の選手のみとなる)ため、甲子園出場のチャンスは3年間で最大5回になる。

エピソード

海外領土からの参加

戦前は日本領である台湾朝鮮満州租借地といった外地の学校も、予選および全国大会に参加していた(春は台湾のみの参加)。1921年の夏の第7回大会に釜山商(朝鮮)、大連商が外地の学校として初出場をした。準優勝したこともあった。戦後は参加がなくなった。

大学野球経験者の出場・19歳の出場

大会初期の頃、大学野球経験者が高校野球全国大会(当時は中学野球)に出場することがあった。 1918年、全国大会に出場した慶應普通部(東京)の山口昇は、慶應義塾大の選手として大学野球経験があった。山口は全国大会出場時は中学5年だったが、当時の大学野球の規約では系列校であれば大学生でなくても大学野球に出場できたため、このような現象が起こった。
また、1920年、全国大会に出場した豊国中(福岡)の小方二十世は、出場時は19歳であり、法政大の選手として大学野球経験があった。当時の中学野球の規約では選手の年齢制限はなく、在籍生を学校長が代表選手と認めればどんな選手でも出場できたため、このような現象が起こった。
1922年に選手年齢を18歳未満にする年齢制限などの規約改正を行い、以降は基本的には大学野球経験者が出場することはなくなった。
しかし、規約改正以降も年齢制限を超えながら出場特例が認められ、甲子園に出場した選手が何人かいる。1956年の夏大会で甲子園に出場した米子東(鳥取)の長島康夫は、外地からの引き揚げのため大会出場時には19歳になっていたが、高野連は事情を考慮して、予選1ヶ月前に特例を設けて長島の出場を許可している。その後、中学卒業後に1年以上何らかの事情で高校に進学できなかった選手に関しては、満19歳以下でも出場資格が得られる規則になっている。1999年の春大会で甲子園に出場した明徳義塾(高知)の森岡エーデル次郎は、帰国子女のため学年がずれ、大会出場時には19歳になっていたが、特例が認められ出場した。
規約では、高野連に部員登録をしたことがある生徒が、家族を伴う引っ越しなど正当な理由なく転校した場合、新たな学校への転入の日から1年間は公式戦に選手登録することができない。部員登録をしたことがあっても、中退・再入試を経て別の学校に入学すれば、公式戦に出場できる。ただしこの措置は、公式戦における通常(3年夏まで)の選手登録を保証するものではない(例えば1年の途中で中退し、翌年度別の学校に入学すると、3年の選抜大会に出場しない限り2年秋までしか選手登録はできない)。同様に、同じ学校内で軟式から硬式、硬式から軟式への転部した場合も、1年間公式戦に選手登録できない。ただし、部員不足の部の救済などの場合を除く。

甲子園6回以上出場

現在、一人の選手が甲子園に出場できるのは最大5回までである。しかし、学制改革前は旧制中学が5年制のため、6回以上甲子園に出場することが可能であり、理論上は一人の選手が9回出場することが可能だった。なお、実際には一人の選手による最多出場回数は8回が最高であった。学制改革後に、5回すべてに出場した選手は清原和博荒木大輔桑田真澄小沢章一、梅田大喜、鶴川将吾等がいる。そのうち全大会でホームランを打った選手は、清原のみである。

甲子園の土

現在の土は、国内の黒土と中国福建省の白砂を混ぜた物を使っているという。
最初の持ち帰りとそれからの話
1937年の夏の大会で、熊本工(熊本)は決勝戦で敗れて準優勝に終わった。決勝戦終了後に、熊本工の投手であった川上哲治は甲子園の土をユニフォームのポケットに入れた。その後、1949年の夏の大会で、小倉(福岡)が準々決勝で倉敷工(岡山)に負けた後、小倉の投手であった福島一雄が甲子園の土を拾って地元に持ち帰った。これが甲子園の土第一号とされている。 以降、高校球児たちの憧れである甲子園球場への出場の記念として、戦いに敗れた高校球児が試合後に甲子園の土を拾って持ち帰るようになった。
アメリカ統治下の沖縄の高校の話
1958年、沖縄はアメリカ統治下にあった。その夏の大会で、春夏を通じて初めて沖縄から首里が出場。1回戦で敦賀(福井)に敗戦し、試合終了後に甲子園の土を拾った。
しかし、検疫の関係で沖縄に持ち帰ることができず、帰郷後処分されたという。外国の土・動植物を検疫を経ずに持ち込む事はどこの国でも法で禁じられているが、沖縄以外のもの(外国や日本本土も含めて)という理由での処分にも関わらず、那覇港の沿岸に捨てられている。なお、那覇港にてアメリカ人職員が高圧的に没収したわけではなく、沖縄の係官が申し訳なさそうに「規則なので…」といった感じでの没収だったため、申し出ずに土を持ちかえった高校生もいたという。
それを知った日本航空客室乗務員有志らが、球場周辺にあった海岸の石を拾い首里に寄贈。同校庭に、今も甲子園初出場を記念した「友愛の碑」というモニュメントとして飾られている。また、これがメディアで扱われ、沖縄返還運動を加速させる一端ともなったという。(出典:『世界飛び地大全』)

地方大会での甲子園球場の使用

兵庫県大会や近畿大会では、阪神甲子園球場を使用することがあるため、全国大会未経験でも、甲子園の土を踏んだ高校球児が存在する。
甲子園球場が完成した1924年から地方大会に使用されており、兵庫県の球児は本大会より一足先に完成されたばかりの甲子園球場の感触を味わっていた。その後も兵庫県内の球場事情や立地が重なり、たびたび甲子園球場が使用されていた。平成になってからは地方大会で使用されることは少なくなったが、現在でも使用されることがある。

勝利校の校歌演奏(斉唱)と校旗掲揚

地区予選・試合後の勝利校の校歌演奏風景・2007年の横浜スタジアム]] 試合で勝負を決した後、勝利校の校歌演奏と校旗掲揚が行われている。 これを発案したのは、毎日新聞大阪本社の記者であった人見絹枝である(他に、人見は開会式での「校名プラカードを先頭に入場行進」という形式も同時に発案している)。人見は1928年アムステルダムオリンピックの女子800mに出場し、日本女子陸上初となる銀メダルを獲得した。オリンピックの各競技表彰式では金メダル選手の国の国歌が流れ、上位3位までの選手の国旗が掲揚される。人見はこの体験を元に発案した。
勝利校の校歌演奏と校旗掲揚は、1929年の春の第6回大会から始められた。最初に校歌演奏と校旗掲揚を行ったのは、八尾中(大阪)であった。当初は生演奏で行われていたが、現在はテープを流している。
夏の大会での勝利校の校歌演奏と校旗掲揚は、春の大会より28年遅れて、1957年の第39回大会から始められた。最初に校歌演奏と校旗掲揚を行ったのは、坂出商(香川)であった。
春、夏、秋の地方大会では、校歌演奏(斉唱)のある地区とない地区に分かれる。
雨天コールドで勝利した場合、雨に濡れた選手や応援団の体調を考慮し、校歌演奏を省略することがある。例としては、1988年夏の滝川二(兵庫・対高田戦)や1993年夏の鹿児島商工(鹿児島・対堀越戦)がある。また引き分け再試合が決まったときは両校の校歌は演奏されない。
前述のとおり、試合に勝たなければ校歌を聞くことは出来ないが、甲子園大会の初戦に限り、2回表・裏の攻撃前に両校の校歌が流れる。
なお、夏の大会では校歌演奏なのに対し、春の大会では校歌斉唱とアナウンスされる。夏の大会は主催者が制作した独唱テープを用いるが、春の大会は各校持ち寄りのテープを流しているため、春夏連続で甲子園出場すると、春と夏では前奏やテンポなどが異なる。
夏の大会では校歌をもたない学校が勝利した場合、栄冠は君に輝くが校歌代わりとなる。
校歌が一定の長さ以上の場合、省略したものを用いたり、省略を要請したりする場合がある(最近では2003年春の横浜、2004年春の済美など)。

春優勝校と夏優勝校の決戦試合

高校野球の全国大会は春と夏で年2回あるが、両大会の優勝校同士による決戦試合が1回行われたことがある。
1927年、春優勝校は和歌山中(和歌山)で夏優勝校は高松商(香川)であったが、「真の日本一を決めよう」という声があがり、同年11月6日に大阪の寝屋川球場で両校による決戦試合が行われた。この試合は7対4で高松商が和歌山中に勝利した。

全国大会出場辞退

過去には、全国大会出場を決めた学校に不祥事が発生すると、その学校が出場辞退を強いられた。たとえ、不祥事を起こした者が野球部員でなくても、連帯責任として野球部の全国大会出場に影響を及ぼした。日本学生野球憲章の第20条に基づくものであくまで自主的に辞退するものとされているが、実質的には出場権の剥奪である。しかし、最近の高野連は野球部員以外の不祥事には、連帯責任を負わないとしている。次第に連帯責任を問わなくなってきた一例として、2008年、選手権大会開幕前に発覚した桐生第一の部員逮捕の一件に関して、高野連は出場を認める判断を下した。 高野連の規定では、2003年までは「3年生の11月末日をもって部員登録を抹消」としていたが、2004年に「退部しない限り卒業日(3月31日(厳密には4月1日))までは野球部員」と改正された。

北海道の高校野球

北海道は1959年から南・北に分割され、南北海道は函館・小樽・室蘭・札幌の4地区、北北海道は空知・旭川・名寄・北見・十勝・釧根の6地区に分かれている。 南北海道はかつては札幌地区に有力校が多かったが、進学校化や選手の分散・流出や駒大苫小牧を筆頭とする苫小牧近郊の高校の台頭も著しい。北北海道は旭川地区が圧倒的勢力で、十勝地区がこれに次いでいたが、空知地区の編入により、勢力が移りつつある。名寄地区のみが春夏通じて甲子園出場校を出していない。
かつて、北海道の高校野球は「負け」の代名詞とさえ言われた。夏の代表は2004年の駒大苫小牧の優勝まで、ベスト4進出は1928年の北海のみ、ベスト8進出は1961年、1962年、1994年(いずれも北海・南北海道)と1995年(旭川実業・北北海道)のみであった。春の代表は1963年に北海が準優勝、駒大岩見沢が1983年にベスト8、1993年にベスト4まで勝ち進んでいる。
北海道民の間でも、「勝つ」よりも「不様に負けない」ように応援するというスタイルがあった。原因としては、雪国のハンデ、関西までの移動による体力の消耗(かつては鉄道での移動であった)、関西の暑さにバテる、北海道人気質である「おおらか・おっとり」、くじ運の悪さ(初戦で優勝候補と対戦することも多かった)等がある。北海道勢との対戦を願う(特に北陸や山陰や東九州や関東・関西勢の初出場校ほど北海道勢は「楽に勝てる」「ボーナスゲーム」という考え)、対戦が決まってガッツポーズしたチームがあった、等は有名な話であるが、過去の北海道勢の成績を見れば不思議は無く、ましてや北海道の高校が優勝することなど、不可能の同義語と言われてきたのである。
甲子園で北海道のチーム同士の対戦が今までに1度だけある。1994年夏の2回戦、北海(南北海道)対砂川北(北北海道)の試合であり、北海が10-1で勝利を収めた。この大会で、北海は北海道勢として夏は33年ぶりのベスト8進出を果たした。
1993年夏に稚内大谷、2004年夏に雄武、2005年夏・2006年夏に遠軽が北北海道大会決勝に進出し、最北の出場校(夏春共に網走南ヶ丘)の更新が期待されたが、いずれも敗退した。2005年夏には日本最東端の根室と最北端野球部の稚内(日本最北端の礼文は野球部が無い)が北大会に出場したが、初戦で敗退した。現在、最東の出場校は中標津(1990年夏)である。
注)北北海道の空知地区であるが、少子化・過疎化に伴う学校数減少と南北北海道の学校数のバランスを取るために、07年春季全道大会から南空知地区(南北海道)と北空知地区(北北海道)を空知地区として統一の上、北北海道に編入した経緯がある。

白河の関・津軽海峡超え

福島県白河に作られていた関所(白河の関)に由来。春夏の大会で東北以北の地域から優勝校が出なかったため、高校野球の隠語として使用されていた。ただ、2001年春および2003年夏の大会の際は、宮城県代表の決勝戦の対戦相手がいずれも茨城県の常総学院高であったため、白河の関ではなく、福島・茨城両県境付近にかつてあったとされる「勿来の関を越える」という表現が正しいのではないかとの議論があった。
その後、2004年夏の大会で駒大苫小牧(南北海道)が全国制覇を成し遂げ、それまでの最北だった作新学院(栃木)を大きく更新し、優勝旗は一足飛びに津軽海峡を越えた。駒苫ナインを乗せた機内にて、キャビンアテンダントが「深紅の大優勝旗も皆さまとともに津軽海峡を越え、まもなく北海道の空域へと入ります」と放送し、乗客はこぞって歓声を上げたという(駒苫の優勝時に発行された北海道新聞の号外では「海峡越え」と表記された)。
駒大苫小牧の優勝後、白河市長が苫小牧市長宛てに「駒大苫小牧の優勝おめでとうございます。ただ、白河の関どころか津軽海峡まで飛び越えてしまったことで、白河の関の知名度が下がってしまうのが少し残念ですが…」という趣旨の手紙を送っている。
一般に『「白河の関」を超えた』ともされる優勝旗ではあるが、スポーツ記者や高校野球ファンなどからは「白河の関とは、陸路で超えることに意味がある」との意味で、現在でも『未だ白河の関は残っている』とされる事も多い。特に駒大苫小牧が優勝して以後は、幾度となく準優勝まで勝ち進みながら未だ優勝旗を手にした事の無い東北地方の野球関係者によって、これまで以上に切実な言葉として使われるようになったと言われている。
東北地方の学校が優勝していない原因については、一般論として、降雪期間はグラウンドが使えない事、日照時間の短さ、地域外の学校との練習試合などが少ない、事実上のアウェーである関西および甲子園の雰囲気に呑まれる、試合時の湿気や暑さなどがホームと掛け離れている、などを言われる事が多い。このような状況から『政治家と甲子園には期待するな』とまで言われることも有る東北地方の高校野球だが。国体や明治神宮大会は降雪期から隔たった秋季に行われるなどのため、優勝校を出す事に成功している。またその他の大会において、国体では1952年の盛岡商(岩手)が、明治神宮大会では1977年の東北(宮城)が、それぞれ東北勢として初優勝している。

箱根の関

関東の学校が、全国制覇を成し遂げた場合の高校野球の隠語。初めて箱根を越したのは1916年の夏の大会の慶應普通部(東京)、その後1949年の夏の大会の湘南(神奈川)が達成した。
1916年夏に慶應普通部が優勝したにも関わらず、1949年夏の湘南の優勝において箱根越えが注目された理由として以下の要因があげられる。箱根が東西を分ける関所として人々に有名であること、慶應普通部の優勝から湘南の優勝まで33年間の開きがあること、湘南の優勝までの当時の高校野球(または中学野球)では西高東低(西日本の学校が強く、東日本の学校が弱い)の印象が強かったこと、1916年はまだ2回目の大会であり当時の中学野球は世間から余り注目されていなかったことなどである。
春の箱根越えは1957年早稲田実(東京)が達成。早稲田実の優勝以降は関東勢の優勝が珍しくなくなったためか、現在ではほとんど意識されなくなっている。

山梨県の甲子園制覇

関東勢で山梨県勢は唯一春夏ともに優勝したことがない。また決勝進出も春夏通じて経験がない。最近では2004年夏第86回選手権大会で、東海大甲府がベスト4に進出したが、準決勝戦では優勝した駒大苫小牧(南北海道)に8-10で惜しくも敗れ、山梨県勢初の決勝進出を逃している。

新潟県・北陸の甲子園制覇

北信越5県では長野県が甲子園優勝経験を持つが、新潟県北陸三県では甲子園優勝校はまだ存在しない。準優勝は1978年春の福井商(福井)と1995年夏の星稜(石川)がある。他の大会では、若狭(福井)が1952年の国体と1973年の明治神宮大会で初優勝をしている。その後も、北陸勢は国体や明治神宮大会で何度か優勝をしている。そのため、該当地域の甲子園制覇は時間の問題とする声もある。
これとは別に、北陸三県は大学進学率が全国で常に上位にあり、難関な大学に現役で進学する生徒の比率も高い。このため「天候に左右されやすい高校野球に打ち込むよりも、3年間必死に勉強して大学に現役で入るほうが得だ」とする考え方が多いためでないか、という意見もある。
また、新潟県は春夏通じて唯一ベスト4に入ったことがない。かつては山形もそうであったが、05年に羽黒の進出により達成された。春は佐賀・島根・滋賀・石川・新潟・福島、夏は富山・新潟・山形がベスト4に入っていないのである。06年の日大山形のベスト8進出で47都道府県すべて春夏共にベスト8を果たしたことになる。

滋賀県の甲子園制覇

甲子園のお膝元である近畿地方に属するものの、滋賀県勢は近畿勢で唯一いまだに春夏とも優勝校がない。2001年夏選手権で近江が、春夏通じて滋賀県勢初の決勝進出を果たしたが、決勝では日大三に敗れて準優勝となった。

山陰の甲子園制覇

山陰地方には色々な解釈があるがここでは山陰地方の項を参考にし、鳥取県島根県及び山口県北部と定める。
原因として雪国のハンディがよく指摘される。山陰地方は日本海側気候に属し湿った雪が多い。昨夏までの甲子園での通算成績は鳥取が54勝84敗、島根は34勝77敗、山口県北部は0勝2敗で大きく負け越している。 鳥取県・島根県については、草創期には何度か上位進出があるものの、人口が少ない(鳥取県の人口は日本最少)地域であるため、優秀な高校生の絶対数もその分少ない。このため、他地域のレベルアップも著しい近年では振るわなくなっている。
現在まで山陰地方から決勝進出を果たしたのは、1960年春選抜で準優勝した鳥取の米子東高校のみである。また、最近では2003年夏選手権で、島根代表の江の川高校が、島根県勢として80年ぶり(80年前は松江中=現・松江北高校以来)にベスト4に進出した(準決勝戦、1-6で宮城・東北高校に敗退)。

孤塁を守る徳島県

近年は野球留学などで全国から有力選手を集める私立高校が多く、甲子園出場校における私立高校の割合は増え続けている。そんな中、徳島県だけは、未だに私立高校の甲子園出場がない。これは徳島県内に私立高校が4校しかない上に、野球部があるのが生光学園だけであるというのが最大の理由である。

関門海峡

高校野球で、九州の学校が全国制覇を成し遂げた場合の象徴的な用語。1947年の夏の大会で小倉中(福岡)は優勝し、優勝旗は初めて関門海峡を越した。また、それまでの最西だった松山商(愛媛)を更新した。春の大会では1958年の済々黌(熊本)が達成。

海を渡る

高校野球で、沖縄県の学校が全国制覇を成し遂げた場合の象徴的な用語。沖縄はその歴史的経緯から、本土に対する意識が強かった。そのため、沖縄水産(沖縄)が夏の大会で1990年と1991年に2年連続で決勝に進出しながら準優勝に終わった時、当時の同校の栽弘義監督が「優勝旗が沖縄の海を渡らなければ、 沖縄の戦後は終わらない」 と発言したと報道された(しかし、本人は否定している)。
1999年の春の大会で沖縄尚学(沖縄)が沖縄勢として初優勝し、優勝旗は沖縄の海を渡った。また、それまでの最南だった鹿児島実(鹿児島)を更新した(試合終了後、スタンドでは相手の水戸商(茨城)の応援団を交えてのウェーブが起きた。2008年春の優勝の際にも同じことが起きた)。
この他、沖縄という地域の特殊性から、離島勢の躍進についても注目する必要がある。夏の大会では宮古が1977,78年に県大会準優勝、八重山が1988年に県大会準優勝とあと一歩のところで甲子園出場を逃しているが、2006年夏に八重山商工が出場(同年春の大会でも、沖縄県の離島勢として初めて出場した)し、2勝を挙げている。
注:八重山商工の他、沖縄本島以外の「島」からは久賀(山口:1962年春、1999年夏)、隠岐(島根:2003年春)、洲本(兵庫:1953年春、1975年夏、1986年春)が甲子園に出場している。しかし、久賀の在る周防大島は瀬戸内海であるうえ、2回目の出場時には本土との架橋島、隠岐は21世紀枠での出場(通常の戦績の他に、「離島」であることも考慮されているであろう)、洲本は1953年春の優勝校であるが、学校所在地が離島とはいえない「淡路島」である。2008年夏には佐渡が新潟大会決勝に進出したが、出場は果たせなかった。

春夏連覇・夏春連覇

春の選抜大会で優勝した年の夏の全国大会で優勝することを春夏連覇という。また、夏の全国大会で優勝した翌年の春の選抜大会で優勝することを夏春連覇という。春夏連覇や夏春連覇をすると、優勝校には2つの優勝旗が同時期に置かれることになる。過去に9例がある。

雨に負けた春夏連覇

連覇を目指す高校が初戦敗退することは珍しくないが、試合中の降雨による再試合で初戦敗退した高校がある。
1965年の選抜を制した岡山東商は、春夏連覇を懸けて夏の甲子園に進出した。初戦の日大二に4-1と勝っていたが、5回表に降雨ノーゲームとなった。岡山東商のエース、平松政次は右肩痛に悩んでいたものの再試合にも登板したが、日大二が平松を攻略し5-2で岡山東商を下した。

初出場・初優勝

夏の甲子園専門

夏の大会から10年後に春の大会が始まった。回を重ねるごとに春夏の甲子園出場の高校が増えてくる一方で、夏の甲子園しか出場できていない高校もある。岩手県福岡高校は、1927年夏に甲子園へ初出場を決め、1985年の夏まで10度甲子園に出場し8強入りも2度あるが、なぜか春の甲子園には一度も出場していない(昭和3年と4年には選抜されたが予算不足で辞退)。原則1府県1校の夏と違い、春は1地区2、3校と甲子園の出場枠が狭い。夏の出場のみという高校は334校に上るが、2ケタ以上の出場経験があり春出場なしというのは福岡高校の1校しかない(戦前は満州・朝鮮・台湾からも出場があり、満州の大連商業が夏12回出場し準優勝もありながら、春の出場がないという例がある)。

春の甲子園専門

春の出場のみという高校は153校あるが、甲子園の出場回数は最高でも5回(それまで春に7回出場し、夏出場が無かった東京の国士舘が2005年夏に初出場)である。ただし、和歌山の海南(旧海南中、春14回・夏4回)や大阪の上宮(春8回・夏1回)のように、春の出場回数のほうが極端に多い学校は大都市圏を中心に多数存在する。例えば東海大相模(神奈川)は、2000年のセンバツで全国制覇したほか、'92(準優勝)、'95、'05、'06と、近年もセンバツで好成績を残しているが、夏の甲子園は1977年以来31年間出場できていない。大都市圏の学校にこのような傾向があるのは、地方大会でのトーナメント制(ハイレベル激戦区での一校勝ち残り)の難しさを物語っている。逆に春の大会はまさに選抜であり、土壇場の勝負強さや運よりも、本来その高校が持っている地力が左右すると言える。(当然地域性も加味されるが)

雨と決勝の因縁

雨でノーゲームになった試合が春は不明だが、夏は6度ある。
2003年第85回全国高等学校野球選手権大会1回戦、倉敷工岡山)対駒大苫小牧(南北海道)の試合では、駒大苫小牧が8-0と大量リードしながらも、4回裏途中台風接近による激しい雨が降り続き、降雨ノーゲームとなる。そして翌日の再試合では、前日とうってかわって倉敷工が試合を優位に進め、5-2で駒大苫小牧を下した。駒大苫小牧側では日付から「8・9の悲劇」と呼んでいる。
2004年第86回全国高等学校野球選手権大会甲子園に戻ってきた駒大苫小牧は、前年の降雨ノーゲームによる悔しい負け方をばねに、初戦の2回戦で佐世保実長崎)を7-3で下し、北海道勢春夏50勝目の勝利を挙げた。その後も駒大苫小牧は日大三横浜など強豪に勝ち続け、そして決勝では済美愛媛)を13-10で下し、見事に北海道勢として初の甲子園優勝を果たした。
駒大苫小牧が8点もリードしながら降雨ノーゲーム再試合負けが大きく知られることになったが、これからさかのぼること10年前にも似たような経緯の試合があった。
1993年第75回全国高等学校野球選手権大会2回戦、鹿児島商工鹿児島)対堀越(西東京)の試合で鹿児島商工が3-0とリードした8回表、降り続く雨で球場全体が水浸しになり、2度目の24分間の中断後、降雨コールドゲームが適用されて鹿児島商工が3-0で堀越を下した。
続く3回戦、鹿児島商工は常総学院茨城)と対戦し、鹿児島商工が4-0と大きくリードしながらも4回表、前日に続く雨で今度は降雨ノーゲームになってしまい、翌日の再試合ではなかなか点が取れず投手戦になり、7回表に1点を取った常総学院にそのまま1-0で逃げられてしまう。
1994年第76回全国高等学校野球選手権大会で鹿児島商工は、学校名を樟南に変更して甲子園に戻ってくる。前年に降雨ノーゲームによる悔しい負け方をした樟南(鹿児島)は3回戦、双葉福島)との試合中、試合成立寸前の7回裏途中に雨で中断するが、1時間10分後に試合再開、結局4-1で下してそのまま決勝へ勝ち進むことになる。
この年の決勝で対戦した佐賀商佐賀)も、準々決勝の北海(南北海道)との試合中の4回表に、雨により1時間33分中断となったが、6-3で佐賀商が勝利。
この年の樟南は、前年のことや福岡-田村のバッテリーの評判から優勝候補とも言われていたが、地方大会から神がかり的に勝ってきた佐賀商に対して、9回表佐賀商の当時キャプテンだった西原に、4-4の同点から夏の大会の決勝では史上初の満塁ホームランを打たれ、4-8で惜しくも優勝を逃してしまった。この似た経緯の試合から、もし1994年に樟南が優勝していた場合、2004年に優勝した駒大苫小牧と同様に、前年の降雨ノーゲーム再試合負けの常総学院との試合を含め、大きく取り上げられていたことだろう。
1994年夏選手権の佐賀商の優勝に貢献した当時のコーチは、奇しくも10年後の2004年に優勝した駒大苫小牧の香田誉士史監督であった。監督自身も1988年1989年の選手権に佐賀商の選手として出場し、1989年の選手権ではホームランも打っている。さらに、1993年の夏選手権で降雨ノーゲーム再試合で運良く鹿児島商工に勝った常総学院は、同じく奇しくも駒大苫小牧が降雨ノーゲーム再試合で悔しく敗れた、2003年の夏選手権で全国制覇を成し遂げている。

降雨ノーゲームと再試合

2008年までに降雨ノーゲームは夏7度もある。特に1917年には敗者復活制度により決勝まで勝ち進んだ愛知一中関西学院中に0-1でリードされている場面で降雨ノーゲームとなる。翌日の再試合で愛知一中が延長14回の末1-0で関西学院中を破った。ちなみに当時の規定では6回終了でコールドが成立するため、関西学院中はあと一歩のところで優勝を逃した。
またノーゲームの後再試合で負け、全国大会で1勝もあげられなかった高校がある。山形南九州国際大付(当時は八幡大付)である。
  • * 愛知一中 1 - 0 関西学院中(再試合)
  • * 坂出商 4 - 0 山形南(再試合)
  • * 日大二 4 - 0 岡山東商(再試合)
  • * 日大二 9 - 6 八幡大付(再試合)
  • * 常総学院 1 - 0 鹿児島商工(再試合)
  • * 倉敷工 5 - 2 駒大苫小牧(再試合)
  • * 大阪桐蔭 16 - 2 日田林工(再試合)

降雨コールドゲームと引き分け再試合

なお、高校野球規定では7回終了以降降雨等により、9回終了を待たずに試合打ち切りとなった場合は、コールドゲームが適用されて試合成立となる(但し決勝戦は9回終了しなければノーゲームとなる)。 過去に降雨コールドゲーム宣告により試合終了となったもの、及び降雨コールド引分再試合となったものは、以下の試合などがある。
  • * 京都二中 9 - 5 和歌山中(再試合)
  • * 如水館 10 - 5 専大北上(再試合)

新設校の快進撃

新設された高校の野球部(最近では主に女子高の共学化)が2年目の後半に入り、創部とともに入部し練習・試合を行ってきた部員が3年生になる前後から、突如として地方大会や全国大会を勝ち進む事がある。駒大苫小牧(南北海道)は1966年夏の選手権に学校創設3年目で出場した。済美(愛媛)は創部2年目の2003年の夏までは目立った成績はあげられなかったが、その年の秋の四国大会でいきなり優勝し、2004年春のセンバツでも快進撃は続き優勝、夏の選手権で準優勝(共に初出場)に輝いた。同様な例に、神村学園(鹿児島)の2005年春センバツ準優勝などがある。しかし群を抜くのは2002年夏の選手権でベスト8に進出した遊学館(石川)の実質1年4ヶ月である(当然、全部員が1、2年生)。この記録は高校野球史上最速で全国大会に出場した記録とされている。

最も遅い初出場・初勝利

47都道府県の中で最後となった出場県は、選抜は山形県(1973年第45回)、選手権は沖縄県(1958年第40回)である。そして初勝利が47都道府県最後となったのは、選抜は新潟県(2006年第78回)、選手権は滋賀県(1979年第61回)である。
また、宮崎県と沖縄県は学制改革以前の出場が春夏通じてない。

甲子園出場の経験を持つ芸能人

甲子園出場の経験を持つ芸能人。(元プロ野球選手を除く)
  • 山本譲二・・・'67の第49回選手権に出場。早鞆
  • 美木良介・・・'74の第46回選抜と'75の第57回選手権に出場。岡山東商
  • レッド吉田(TIM)・・・'83の第65回選手権に出場。東山
  • ゴルゴ松本(TIM)・・・'85の第57回選抜に出場。熊谷商
  • 有田真平・・・'89の第71回選手権に出場。海星(長崎県)
  • 安村昇剛(アームストロング)・・・'99の第81回選手権に出場。旭川実

テレビ局員の甲子園出場

  • 林正浩TBSアナウンサー)・・・'73の第45回選抜に出場。桜美林
  • 上重聡日本テレビアナウンサー)・・・'96の第78回選手権、'98の第70回選抜と第80回選手権に出場。第80回選手権準々決勝では横浜高校松坂大輔を相手に延長17回を投げきっている。PL学園
  • 矢野勝嗣愛媛朝日テレビ職員)・・・'96の第68回選抜と第78回選手権に出場。第78回選手権決勝戦では、いわゆる「奇跡のバックホーム」を演じ母校の優勝に大きく貢献。松山商

プロ野球経験者による甲子園指揮

1962年に規定改正が行われて以降、プロ野球経験者がアマチュア野球の監督に就任することが再び可能となった。 高校野球では、これまで2名が3度指揮を執っている。

問題点と批判

人気ゆえの問題点(朝日・毎日新聞の論調)

単なる高校部活動の対抗戦に留まらず、圧倒的な人気で社会を巻き込んでいる高校野球であるが、その人気と関心度故に、多くの問題点が指摘されている。
  1. 教育の一環としての課外活動が、全国レベルの社会的イベントになっているため、硬式野球部だけが軟式野球部等も含めた他の部活動と比べて予算、施設などの面で特別扱いされたりしている。ただ、他の部活に比べて指導者がいない練習などはなく、競争力が非常に高いため仕方ないという意見もある。
  2. 大会は商業新聞社(毎日、朝日)の主催であり、事実上新聞社や、新聞社の系列の放送局の宣伝にもなっている。
    • なお日本学生野球憲章では、日本オリンピック委員会 (JOC) の選手強化キャンペーン(「がんばれニッポン」)の協賛スポンサー企業を含めて、高校生や大学生の商業出演行為(コマーシャル、テレビのバラエティー番組出演など)は厳しく禁じている。それでも、ここ最近は野球部以外の運動部に所属する高校・大学在学中の選手達が、多くのTV出演等をしているものの、野球部所属の選手に対しては、未だに商業出演行為は一切認めていない。
    • にも拘わらず、高校球児達を男性アイドル扱い化した日刊スポーツ出版社の雑誌「輝け甲子園の星」の発行や、ABCテレビ制作で夏の選手権大会開催中に放映の「熱闘甲子園」と共に、大会後に開催される海外遠征の特別番組などで球児達のプライベートな場面を放映するのは認められている。もっとも、「教育の一環」という観点から言えば、バラエティー番組等への出演を認めてしまった他のスポーツ部及び学校のほうこそがおかしいのでは、という指摘もある。
    • 夏の大会では、本来、野球には不向きな真夏の7~8月にかけての日中・炎天下の屋外球場で、全国規模のトーナメント戦(地方予選~本大会)を行なうことによる選手への負担もかなりある。もっとも、学業優先の観点から、長期にわたる大会を開催するには春休み及び夏休み(冬休みは受験期であることや積雪のため、開催不能)を利用するしかないという現実もある。
    • 社会の注目度が高い故に、一介の課外活動に対して多くの報道が為される故のトラブル。
  3. 暴力行為」や「過剰な指導」、「指導者・先輩への絶対服従」など体育会系クラブにありがちなトラブルと、それに対する「連帯責任」的な処分。近年は、問題を起こした者を外せばよいなど改善される方向にあるが、それは生徒のみの話で有り、指導者の行為は論外とされている。
高校野球の諸問題をジャーナリズム的視点から改革することをマスコミは一切行わないともされ、各問題がほとんど報道されない、マスコミで議論されないことは社会問題との指摘もある。(本来であれば主催者ではない読売新聞産経新聞などが異を唱えるべきであろうが、他の高校スポーツ選手権の主催スポンサー(前者は系列の日テレがサッカー、後者は系列のフジテレビと共同でバレー)になっているためか、切り出せないでいる。この意味では全国紙で高校スポーツに携わっていないのは日本経済新聞だけであるが、経済とは関連の薄い分野でもあり、一般的な報道に留まっている)。
また、実情としては高校野球がメディアで大きく取り上げられる一方、他の高校スポーツは知名度が低く(もっとも、高校サッカー、高校バレーボール、高校ラグビーは高校野球ほどではないが、メディアで比較的よく取り上げられる)
これはほぼ同時期に行われる全国高等学校総合体育大会(インターハイ)の扱われ方が小さいことからも伺える。漫画家のあだち充(高校野球を扱う作品も多く残している)は、『KATSU!』の作中でこのことを皮肉混じりで描いている。かつて月刊陸上競技の編集後記において「高校野球や高校サッカー(年末の全国高校サッカー選手権大会)ばかりがメディアに取り上げられ、高校スポーツの祭典が軽んじられている現況に、全国の高校スポーツ関係者はやるせない怒りを感じている」という内容の批判として取り上げられている。これに対し、競技間において人気にばらつきがあるのは当然であり、「高校スポーツだからニーズを無視して全ての競技を平等に取り扱え」というのは悪平等につながる暴論、との意見もある。
その一方で、高校生としての勉強や、部活動以外の学校活動もおろそかにしないよう指導し、生活指導面にも力を入れつつ好成績を残している指導者も多いことを付記しておく。とスポーツ競技に技能ではなく自らの理想を求める者が理想に当てはまらない者を批判し、それに当事者が反論(ラストイニング等を参照)できない空気なのが現状である。

野球留学の問題点(高野連の主張)

  1. 甲子園出場を目的として特定の学校へ「野球留学」・越境通学をする例、「スポーツ推薦」で入学する例が増えた。本来の意味での“地元代表”なのか、と疑問視する声がある。日本学生野球憲章で禁じられているはずの野球による特待生制度で中学生を買い漁るスカウトもある事は公然の秘密である。。「○○学院」「△△学園」「××大学(付属)」と冠が付く・地域名が校名に入っていない高校が“常連校”と化すなど、“私学部門と公立校部門に分けるべきではないか”との意見もある。
    • なお、2007年春に特待生が問題となり、強豪と呼ばれる私立高校が特待生を選手から外したところ、強豪校の敗退が続出し、公立校が上位に名を連ねた。
    • もっとも、多感な時期の3年間なので、生徒は地元にすっかり染まってしまうという意見もある。
    • また、進学する高校の選択の自由は憲法上保障された権利であり、これを制限することは違憲のおそれも指摘されている。さらに野球以外の様々な事情、例えば他のスポーツ競技、芸術、勉学そのものなどを理由とした越境留学は日常化しており、高校野球においてのみ問題にするのは矛盾であり感情論にすぎない、とする意見もある。
    • 強豪校は、本業である学業より野球を優先する風潮があるため、「野球のため強豪校に進学」というパターンも増えた。
    • 特定の学校への集中は部活動の領域を越えたセミプロ化としての存在になることが大きい。全ての学校が同一条件にならないことは教育の一環という前提を越えてしまう。生徒集めに条件のある公立高校との格差は大きくなる一方である。
    • 高野連によれば、第89回大会登録選手の総数75,706人の内、都道府県外中学出身者は3,256人(昨年から160人増)。この内、隣接都道府県以外の都道府県外中学出身者は1,346人(昨年から86人増)と発表している。
      • 流出元は
        1. 大阪府427人
        2. 兵庫県125人
        3. 神奈川県110人
      • 一方、隣接都道府県以外出身の選手流入先は
        1. 岡山県77人
        2. 東京都66人
        3. 香川県64人
  2. 「地域代表」的な立場やプロ野球への登竜門としての要素があるために(実際にプロ野球球団のスカウトがバックネット裏の観覧席に陣取って、ドラフト上位候補と目される主要選手のチェックを行っている)、教育とは無関係な第三者の利権や介入が生じる。

その他の問題点と批判

  1. 人口や学校が少ない県(高知県山陰両県など)は試合数が比較的少なく、甲子園に出やすい(競争率が低い)。逆に神奈川県大阪府のように、人口や学校が多いにも関わらず1校しか枠のない県は出場が難しくなる(競争率が高い。最も人口が少ない鳥取県の人口は神奈川県の15分の1に過ぎない)。このため、「人口が多い神奈川県大阪府愛知県埼玉県兵庫県千葉県福岡県は出場枠を2校にすべき」の声もある。実際、第80回記念大会と第90回記念大会では出場枠1校のうち福岡県を除く6府県が2校に分けて出場を果たしたが、それ以外の大会は通常通り1校のみ出場となっており、相変わらずの競争率の激しい区域となっている。
  2. 女子に対しては未だに原則として門戸を開いていない点がある(プロ野球では制度的に女性選手が認められているのに対して、高校野球では認められていない)。女子部員のいる学校も僅かに存在するが、大学野球のように選手としての出場は認められない。
    • バレーボール陸上駅伝などと異なり、同一組織による女子大会は開かれていない。女子大会は、女子のみの野球部がある学校により構成されている別組織の全国高等学校女子硬式野球連盟によって開催されているが、その開催地も男子と同じ甲子園球場ではない。マスコミも殆ど報道していないため(TBS系「JNN報道特集」が神村学園高校女子野球部を取材した他、大会を一時後援していたことがあるが、読売新聞がベタ記事で扱った程度。現在は神戸新聞京都新聞なども後援)、世間的にも存在自体が知られていない。
  3. 髪型に関して坊主刈りの学校が多数存在する。近年、髪型が自由な学校も増えてきている。
    • 他の高校スポーツにおいても、野球ほどではないが、坊主刈りは存在する。また、他競技と違い、ユニフォームの一つとして帽子の着用が義務づけられる野球においては、その方が競技上有利であるという合理的理由も存在する。
    • 坊主刈りにしなくても髪を染めても出場ができる規則はあるようだが、2004年11月に高野連は、近年流行しているヘアカラーの使用や眉毛の剃りこみを禁止するように、と通達を呼びかけた例が有る。
  4. 開催時期の関係で18歳以下の国際大会「AAA世界野球選手権大会」に日本代表が派遣できないことが多い。2007年の「AAAアジア野球選手権大会」は、木製バット使用が義務付けられたことに不満を持った高野連が同大会への参加をボイコットしている。このため日本は高野連に所属しない、早生まれの社会人野球の選手を中心にチームを編成しU-18代表として送り込むこととなった。
  5. 暴力行為等の不祥事については、野球のみに限らず学生スポーツにおける運動部(体育会系)そのものに付きまとう課題になっているのが現状である。当事者内にも肯定あるいは必要悪とする意見があり、それが解決を一層困難なものにしている。
  • 参考文献
    • 小林信也『高校野球が危ない!』(草思社)ISBN 479421619X
    • 島村麻里『ロマンチックウイルス―ときめき感染症の女たち』(集英社)ISBN 9784087203837 「王子」ブームについても言及している。

その他の大会

硬式野球以外のものとして、軟球を用いる軟式野球全国高等学校軟式野球選手権大会がある。こちらは夏の甲子園大会終了後の8月下旬に、兵庫県明石市高砂市の球場で行われている。他に国民体育大会においても、軟式野球部の大会が行われる。 また、全国高等学校定時制通信制軟式野球連盟などの主催、文部科学省や高野連などの後援による、定時制高校通信制高校を対象とした「全国高等学校定時制通信制軟式野球大会」が、毎年7月に地方予選が行われた後、8月に全国大会が神宮球場など東京都内の球場で行われている。これらの大会は「もうひとつの甲子園」と呼ばれる事も多い。

脚注

関連項目

外部リンク

*こうこうやきゆう
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出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)
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