植木等国民栄誉賞から巷の話題をチェック!

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■発売日:2006年5月26日 メーカー:東宝 品番:TDV-16135D  商品名:ニホンイチノゴリガンオトコ 監督:古澤憲吾 脚本:笠原良三 音楽:宮川泰 出演:植木等、浜美枝、野川由美子、田中邦衛、藤田まこと クレージーキャッツの植木等主演、C調サラリーマンが大活躍する「日本一の~男」シリーズ第4作。不況の世の中を合理的に計算づくで渡っていく日本等は、次第に成績を伸ばしていくが、周囲の反感を買い、うだつの上がらない仕事を押し付けられる。 翌営業日までに発送 ※ご注文タイミングによっては取寄せ 登録日:2006/03/24 タイトル:日本一の色男 スタッフ:古沢憲吾(監督) 発売日:2006年05月26日 品番:TDV-16132D 発売会社:東宝(株)  特典映像:予告編/ 備考:製作年:1963年/製作国:日本/カラー/映像特典:予告編/解説書付/同時発売BOX商品はTDV-16131D  ”無責任男”が一転、モテモテの天才サラリーマンに!?^.^女子校の音楽教師光等(ひかるひとし=植木等)は卒業式の不謹慎な振る舞いに即刻クビ。調子よく”ローズ化粧品”に再就職した光は、女性相手にお得意の口八丁手八丁、天才サラリーマンぶりを発揮して・・・・!  メディア:DVD12cm 組枚数:1 収録時間:94分  在庫:おとりよせ 切り花生産で培った一輪の美しさを最大限に引き出す技術と上品な花姿で、大切な貴方の思いを伝えます。 どこに出しても失礼のない大輪胡蝶蘭3本立ち。 個人様だけではなく企業様からの大切なお取引先への開店祝い、竣工祝い、誕生日プレゼント、母の日ギフト等のお祝い用としても多くご利用頂いています。 また、お供え用の贈り物などとしてもご利用をいただけます。  ★10時までのご注文エリア★ 【あすつく_北海道】【あすつく_東北】【あすつく_関東】【あすつく_信越】【あすつく_北陸】【あすつく_沖縄】 ★13時までのご注文エリア★ 【あすつく_東海】【あすつく_近畿】【あすつく_中国】【あすつく_四国】【あすつく_九州】 タイトル:植木等のゴクラク映画ボックス スタッフ:植木等 発売日:2008年03月28日 品番:TDV-18153D 発売会社:東宝(株)  特典映像:予告編/予告編/予告編/予告編/予告編/ 備考:製作国:日本/カラー/本編445分/解説書付/映像特典:予告編/同時発売単品商品はTDV-18454Dから18157D  戦後のドサクサに大儲けを企むものの上手くいかない日の本太郎(植木)。しかしオールセールス会社を興した太郎は大成功!なんでもかんでも売り飛ばした挙句、遂には日本列島を売り出すことに!?  メディア:DVD12cm 組枚数:5 収録時間:446分  在庫:わずか 【ご注文後1週間前後で出荷となります】草木から手をガード、手を開いても落ちないハサミ。高い所や長時間の作業にもラクラク。ステンレス刃物鋼で、錆びにくく、軽量。ワンタッチストッパー付きで、開閉が楽なバネ付き。ガードは取り外しがワンタッチで用途に合わせて使用してください。刃が120mmと長く、トゲのある危ない花のカットや、芝生の端刈り、松の葉刈り、垣根の剪定、等に最適。 タイトル:クレージーキャッツ 時代劇ボックス スタッフ:クレイジーキャッツ 発売日:2006年09月22日 品番:TDV-16190D 発売会社:東宝(株)  特典映像:予告編収録/予告編収録/予告編収録/予告編収録/ 備考:製作年:1964年、1966年、1970年/製作国:日本/カラー/映像特典:予告編/封入特典:解説書/同時発売単品商品はTDV-16191Dから16194D  収録曲♪だまって俺について来い/もっとも節~馬厩の歌/天下取り節/人生五十年 他^.^^.^植木等=木下藤吉郎、ハナ肇=織田信長、谷啓=徳川家康と絶妙なキャスティングで繰り広げる戦国出世絵巻。風来坊の日吉丸(植木)は信長に仕官。そしてお馴染みのC調と大ボラで、草履取りからブゥワーッと侍大将まで大出世!植木“藤吉郎”の痛快、爆笑時代劇!!  メディア:DVD12cm 組枚数:5 収録時間:377分  在庫:おとりよせ 品番 GPS98069 商品名 陶器植木鉢3点セット(受皿付) 包装 ラッピング無料・のし対応・メッセージカード無料・配送日指定 おすすめ 出産内祝い/出産祝い/ベビーギフト/快気内祝い/快気祝い/ブライダル/引出物/結婚内祝い/結婚祝い/入学祝い/進学祝い/卒業祝い/就職祝い/卒業記念品/新築祝い/母の日/父の日/敬老の日/プレゼント/お祝い/お返し/贈答品/景品/記念品/粗品/ゴルフコンペ等におすすめのギフトです カテゴリ インテリア:フラワー/ガーデニング ■発売日:2005年3月23日 メーカー:コロムビアミュージックエンタテインメント 品番:COBM-5346  商品名:キゲキフシギナクニニッポン 監督:松林宗恵 製作:荒木正也 脚本:紺野八郎 撮影:長沼六男 出演:中井貴一、森繁久彌、植木等、財津一郎  「社長シリーズ」でお馴染みの巨匠、松林宗恵監督が植木等や財津一郎などの豪華キャストを迎えて撮り上げた、来るべきシルバー社会を強烈に風刺したヒット作。東京と山口県美祢市を舞台に、チグハグで愛すべき“日本人”を明るく鮮やかに描く。 翌営業日までに発送 登録日:2005/08/16 【1週間前後の発送】 種別:DVD 宝田明 佐伯幸三 解説:芸能界の光と影!夢見る少女の成長を歌と音楽にのせて描くミュージカル・ムービー!宝田明、中尾ミエ、池内淳子、ハナ肇、植木等ほか出演。 特典:解説書  販売元:東宝 JAN:4988104048233 発売日:2008/07/25 登録日:2008/04/21 邦画ドラマ全般

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植木等
植木 等(うえき ひとし、1926年12月25日戸籍上は1927年2月25日) - 2007年3月27日)は、日本俳優コメディアン歌手ギタリストである。高度経済成長時代の日本を代表するコメディアンとして1960年代に一世を風靡して、数々のヒットギャグ、ヒット曲を放った。仲間内での愛称は植木屋植木やん
長男は、比呂公一作曲家)。

経歴

  • 愛知県 名古屋市にて生まれる。父親は東本願寺名古屋別院にて僧侶の修行中だった。本人が『徹子の部屋』で語ったところによると、植木は大正天皇が薨去した日(1926年)に生まれたが、その時間は定かではない。ちょうど父が体調を崩していたので、叔父が届けをまかされた。叔父は届けを忘れ、翌年ようやく出生届けが出されたため、戸籍上は翌「昭和2年」(1927年)生まれとなったという。届けが遅れたので幾ばくかの罰金を徴収されたという。植木本人は「三世代に亘ってしまいました」と笑い飛ばしていた。
  • 3歳の頃、父親が浄土真宗の一つである真宗大谷派常念寺の住職となり移住。移住先は、母親であるいさほ(旧姓:小幡)の実家、浄土真宗大谷派西光寺がある三重県度会郡小俣町(現在の伊勢市の一部)の近く。なお、公式ホームページでは出身地を三重県としている。また一部の文献では出身地を小俣町や伊勢市としているものもある。
  • 1939年 僧侶の修行をするべく、東京へ行く。
  • 1944年 旧制京北中学校卒業後、東洋大学専門部国漢科に入学。なお、在学中、20歳で結婚。
  • 1947年 東洋大学専門部国漢科卒業後、東洋大学文学部(旧制)入学。
  • 1950年 東洋大学文学部国漢科(旧制)卒業(東洋大学の公式サイトや校友会誌などでは「昭和22年3月専門部国漢科卒」という肩書きになっていることから中退という説もある)。テイチクレコードのオーディションに合格。ジャズに傾倒してギタリストを志す。「萩原哲晶とデューク・オクテット」にギタリストとして加入。
  • 1952年 自身のバンド「植木等とニュー・サウンズ」結成。
植木のバンドが演奏していると、進駐軍として日本に滞在していたハンプトン・ホーズがピアニストとして飛び入りで演奏に参加してきたという逸話が残っている。
  • 1954年 オペラ歌手の平山美智子からクラシックの発声レッスンを受けているときにフランキー堺に誘われ、シティ・スリッカーズに参加。
  • 1957年 3月1日 シティ・スリッカーズから谷啓らのいるクレージーキャッツに参加。その主要メンバーのひとりとして活躍し、ジャズ喫茶などで人気を博す。
  • 1959年、クレージーキャッツの一員としてフジテレビのTV番組「おとなの漫画」に出演。
  • 1961年、やはり、クレージーキャッツの一員として、日本テレビの番組「シャボン玉ホリデー」に出演、「お呼びでない?」など歴史に残るギャグで爆発的な人気を得る。
  • 1962年古沢憲吾監督の東宝映画「ニッポン無責任時代」に出演し、大ヒット。以降、「無責任男」をキャッチフレーズに数多くの映画に出演。『スーダラ節』、『ドント節』をはじめ数々のコミックソングをヒットさせた。
  • 1984年石井聰亙監督の、過激なコメディ映画『逆噴射家族』に出演し、怪演ぶりを発揮。顕在をアピールする。
  • 1986年 『新・喜びも悲しみも幾歳月』で、キネマ旬報助演男優賞、日本アカデミー賞最優秀助演男優賞、毎日コンクール助演男優賞を受賞。
  • 1986年 主演ドラマ『名古屋嫁入り物語』放送。1998年まで計10作作られる人気シリーズに。
  • 1990年 自身の企画で、ヒット曲をメドレーにして歌った「スーダラ伝説」を発売。話題を呼び、この年の紅白歌合戦に1967年以来の出場を果たし、歌手別最高視聴率56.6%を叩きだした。さらにオリコントップ10入りも果たすという大記録を打ちたてた。その余波で高額納税者番付・芸能人部門でもトップ10入りを果たし、さらに記録を作った。不動産売却以外で、還暦を過ぎてのランクインは他に例が無い。
  • 1993年 11月3日 紫綬褒章受章。
  • 1999年 4月29日 勲四等旭日小綬章受章。
  • 1997年 連続テレビ小説甘辛しゃん』に出演中の頃から肺気腫を患う。2003年頃から容態は悪化し出し、体力低下のため舞台公演が出来なくなる。
  • 2006年 12月21日 朋友である青島幸男の通夜に、酸素吸入器をつけて参列。これが公の場に出た最後となる。
  • 2007年3月27日午前10時41分 肺気腫による呼吸不全のため都内の病院で死去、{{cite web
| date = 2007-3-27 | year = 2007年 | month = 3月 | url =http://www.nikkansports.com/entertainment/f-et-tp0-20070327-175927.html | title =クレージーキャッツの植木等さん死去 | publisher = 日刊スポーツ | accessdate = 3月27日 | accessyear = 2007年 }}。法名は、宝楽院釋等照。

人物

父の影響

植木等の父親である徹誠(てつじょう)は、かつて徹之助と名乗っており、若い頃はキリスト教徒であった。後に浄土真宗の一つである真宗大谷派常念寺の住職となる。被差別部落出身ではないが「自分は部落民ではないと思う事が、すでに相手を差別していることだ」と述べて、水平運動に参加した。治安維持法違反の罪にとわれて投獄をされても積極的に反差別と反戦を貫いて運動をした。また、60年安保のデモ隊にも参加した。
ただし、「謹厳実直」なだけの人物ではなく、息子・等から見ると「支離滅裂」で、義太夫語りになろうとしたこともあり、「いわば蕩児でもあった」という。。
少年時代には、ステテコ一丁の徹誠が等を、寺の「仏様」の前につれていき、物差しで頭を叩きながら「この音を聞いてみろ。金ピカだけれども中は木だ。こんなものを拝んでも、どうにかなると思ったら大間違いだそ」と諭されたという。
「等」の名前は、この社会運動家の顔も持っていた父が「平等」にちなんで名づけた。少年時代の等は、投獄された父に代わって僧衣を纏い檀家を回るという生活を送っている。その経験もあってか、1993年ハナ肇が亡くなった時、その葬儀において自ら読経した。
また、代表作『ニッポン無責任時代』でも、植木が演じる主人公は当初、「香典泥棒」と設定されていたが、「寺の倅」として耐えられなかったのか、自ら設定を変え、「香典泥棒に限りなく近い人物」という役になっている。

自身の性格

自他共に認める真面目な性格で、中尾ミエが「毎日同じおかずでも不満を言わないくらい」と例えるほどであったという。『植木等デラックス』ではゲストのさだまさしが、「無責任男」を「植木さんが無理矢理お作りになったキャラクター」と述べたところ、植木は「そうなんだよ、世間はあれが地だと思ってるんだよ」と語っている。
スーダラ節」の楽譜を渡された時には、「この曲を歌うと自分の人生が変わってしまうのでは」と悩んだ。父親に相談すると「人類が生きているかぎり、このわかっちゃいるけどやめられないという生活はなくならない。これは親鸞上人の教えに通じている。そういうものを真理というんだ。上出来だ。がんばってこい」と諭され、彼は歌うことを決意した。
ただし、交友があった小林信彦による評伝『植木等と藤山寛美』によると、あの独特の高笑いは「植木本来のモノ」であったという。また、生真面目ながらも独特の「フラ」があり、日常の座談も「無責任男とは別種の、おかしさ」があったという。
また、「貧乏人の倅」を自称し、「どん底でも平気だ」と語り、成功前の貧乏時代から非常に明るく「私生活がわからなかった」という。。

学生時代

学生時代は陸上選手で、高校時代には100mを11秒で走り、大学時代には東洋大学陸上競技部に所属、関東学生陸上競技対校選手権大会にも出場している。その縁で後に植木は母校東洋大学陸上部の名誉顧問も務めていた。また東洋大学の相撲部の後援会長も引き受けていた
またこの大学時代にバンドボーイアルバイトを始めるが、この時に知り合ったのが野々山定夫(のちのハナ肇)であったことを、2005年NHK-BSハイビジョン特集で放送された『スーダラ伝説 植木等 夢を食べ続けた男』で植木が明かしている。

バンドマン

大学を卒業し、バンドマンとして歩み始めると同時に、ジャチント・シェルシとのコラボレーションで知られる平山美智子のレッスンによって正式に声楽の発声を学んだ。
また、最初ギターを持ち始めた頃は全く出来なかったため教則本で必死に練習したことが功を奏して、どんな楽譜も初見で読む技術があった(当時のジャズギタリストには楽譜を読めない人も多かった)。この『譜面を読める』ことを買われて萩原哲晶が植木を自分のバンドに加入させたこともある。
さらに左肘でリズムを取ったり、演奏コントで谷啓にトロンボーンで小突かれ張り倒されながらもギターを弾き続けるほどの技術を持ったギタリストとなった。

黄金時代

国民的スターとして人気を集めた1960年代、活躍の中心は『シャボン玉ホリデー』をはじめとするテレビバラエティと、『無責任シリーズ』『日本一の男シリーズ』などの一連の東宝映画であった。
映画に関しては、最初はスーダラ節の大ヒットを受けて大映で2本の映画が作られたが、こちらでは植木等やクレージー・キャッツが川崎敬三川口浩に主役を譲る脇役出演であり、是非植木に主役を演じさせたいと熱望する渡辺プロダクションの渡辺晋社長が企画を持ちまわった結果、東宝でゴー・サインが出ることとなった。そして作られた2部作『ニッポン無責任時代』『ニッポン無責任野郎』は、「無責任」という流行語とともに当時社会現象となった。この無責任男の破天荒なキャラについて、植木は後年「『ニッポン無責任時代』の古澤憲吾監督にはまず「笑ってみろ」と言われて色々演じてみたけどOKがもらえず、そのうち怒り出した監督から『植木君、君が演じようとしているこの男は異常なんだよ!』と言われ、それで吹っ切れてキャラが出来上がった」と回想している。
その後、『ニッポン無責任時代』の初期の企画を立てた脚本家・田波靖男のマンネリ化に対する危機感や、当時東宝の製作本部長だった藤本真澄の意向もあって、植木が演じるキャラクターも無責任型から有言実行型のスーパー・サラリーマンへと方針転換していくことになり、無責任シリーズは日本一の男シリーズへと変化を遂げる。一方、同時進行で製作されていたクレージーキャッツ全体を主人公としたクレージー作戦シリーズにおいては、田波自身が「無責任へのアンチテーゼ」とする『クレージー作戦 くたばれ!無責任』(1963年)も製作された。
その結果、作品によっては古典的な熱血サラリーマン像も顔を覗かせるようになり、小林信彦ら初期作品の支持者に作品的低迷を批判されるようになる(ただし、小林は1963年から、渡辺プロダクションでクレージーキャッツのブレインを務めるようになり、身内として「とにかく作ればあたる」状態になった植木・クレージー映画を、冷静にみて批評することができないと書いている。)。
1960年代後半になると連戦連勝の爆発的ヒットを受けてクレージー・シリーズが大作化していったのに対して、植木主演の日本一の男シリーズは、佐々木守早坂暁などの新進脚本家や須川栄三のような時代性を如実に反映する監督の参加もあり、全共闘時代を反映してシニカルで風刺の効いたものとなっていく。1960年代末には徐々に動員力が低下し、ザ・ドリフターズのブレイクも影響して、植木の東宝映画主演は1971年の『日本一のショック男』で打ち止めとなる。このシリーズ最後の作品は、加藤茶とのコンビ主演作であった(※NHK-BSハイビジョン特集『スーダラ伝説 植木等 夢を食べ続けた男』における植木等の証言より)。

性格俳優への転身

1985年には「東宝撮影所でいつもすれ違っていて、そのたび映画に出て欲しいと思っていたのに機会に恵まれなかった」と語る黒澤明監督の熱烈なラブコールを受けて『』に助演した。また、木下惠介監督の『新・喜びも悲しみも幾歳月』(1986年)では、日本アカデミー賞助演男優賞を受賞する熱演を見せた。ただし、喜劇俳優としてのイメージを捨てたわけではなく、1984年には当時気鋭の若手だった石井聰亙監督が小林よしのりの原案を映画化した異色コメディ『逆噴射家族』に出演。アナーキーな老人役を好演して、主題歌『逆噴射家族借景』を共演の小林克也と歌う活躍も見せた。晩年の小林製薬のCMではクレージー時代を髣髴させる高笑いを披露していた。
性格俳優への転機は、1977年の東京宝塚劇場公演『王将』で坂田三吉を演じたことで果たした。「役者として年齢的にも経済的にもラクをしたがりそうな時期だったので、これはいかん、それを乗り越えるためには冒険を」(毎日新聞のインタビュー記事(1977年6月)~産経新聞2007年5月2日『植木等伝説(4)』より)という意気込みで臨んだものだった。
以降は舞台出演もクレージーキャッツとしての公演・ライブに替わって単独での演劇主演・助演が増えていく。1970~80年代初頭は時代劇コメディ「大江戸三門オペラ」や悪徳政治家が暗躍する「にぎにぎ」などの喜劇作品に主演したほか、谷啓率いるコミックバンド「スーパーマーケット」とのジョイントショーなど数々の作品に出演した。
また1993年からは明治座、堺正章座長公演への客演も恒例化(1996年のみ単独主演「大江戸気まぐれ稼業」)し2002年まで出演したほか、中日劇場で「名古屋嫁入り物語」の舞台版を同じく2002年まで続けた。
1990年にリバイバルシングル『スーダラ伝説』が大ヒットし、オリコンベスト10入りを果たしたが、還暦を過ぎて、ソロシングルがベスト10にランクインしたのは植木のみである。そしてこの年のNHK紅白歌合戦にも久々に出場した。(この紅白での歌い方について、「だって歌いながら笑ってたでしょ? あんなものを紅白で...」と、後日自らを戒めていた。)

死去

晩年は肺気腫前立腺癌を患いながらもテレビドラマ映画を中心に仕事を続け、2007年3月27日、呼吸不全の為東京都内の病院で80年の生涯を閉じた。
遺作は映画『舞妓Haaaan!!!』の西陣の社長である斉藤老人役となった。
葬儀は植木の遺志で身内だけの密葬として執り行われ、クレージーキャッツの一員だった谷啓犬塚弘桜井センリや植木の付き人を経てコメディアンになった小松政夫も参列した。
植木等の訃報はスポーツ紙全紙ばかりではなく一般紙も1面で大きく掲載し、テレビではNHKが芸能人の訃報としては異例の速報で伝えた。
また植木の死を悼み、テレビ各局は追悼特番を組んだ。TBS4月1日の19:00~20:54に『植木等ショー』などの過去の映像をメインとした追悼特番を放送。他にも4月6日テレビ朝日系『徹子の部屋』、4月8日日本テレビ系『いつみても波瀾万丈』、NHK教育テレビの『植木等さんを偲んで』などで追悼番組が放送された。
本葬は、お別れの会という形で4月27日に東京都港区の青山葬儀所で「植木等さん 夢をありがとう さよならの会」として行われ、2,000人もの参列者が植木との別れを惜しんだ。葬儀委員長は谷、犬塚、桜井の3人が務め、弔辞は小松政夫、加藤茶、すぎやまこういち松任谷由実森喜朗元内閣総理大臣らが読み上げた。また、渡辺貞夫がサックスを演奏し、内田裕也ミッキー・カーチスは弔辞の後、松任谷を交えて祭壇の前で『スーダラ節』を即興で歌うなど、他には浜美枝伊東四朗水前寺清子仲本工事大山のぶ代中山秀征ケーシー高峰大竹まこと大橋巨泉清水アキラ、付き人だった島崎俊郎なども参列した。
愛車の日産・シーマFY33型は所ジョージが受け継ぎ、世田谷ベースにて保管されている。

植木等のギャグ

  • 「お呼びでない?……お呼びでないね。こりゃまた失礼いたしました!」(シャボン玉ホリデー)
当時植木の付き人をしていた小松政夫に呼ばれ、誤って出番以外のコーナーに登場してしまった際に植木が発したアドリブが元ネタ(ただし異論もあり)。
  • 「なんでアル?アイデアル」(アイデアル傘のCMで一躍ヒットギャグ)
  • 「これでイーヘラ?」(ステテコ姿の植木等が言うギャグ)
  • 「この際カアちゃんと別れよう」(1971年にCMで一躍ヒットギャグ。ドラマ、レコードまで出来た。)

主な出演

映画

テレビドラマ

「深く埋めて」(1987年10月、PDS) - 森常敏一 役
「火刑都市」(1989年4月)

バラエティ

吹き替え

CM

  • 丸定商店(現・アイデアル、現在倒産)「アイデアル傘」(1963年 - 1965年、『なんである、アイデアル』のフレーズで知られた)
  • 田辺製薬「ヘルスロング」(1963年)
  • 松下電器産業「ナショナル電気冷蔵庫、電気洗濯機」(1963年)
  • 沖正宗酒造 「沖正宗」(1963年)
  • 麒麟麦酒「キリンビール」(1965年-1966年)
  • 日産自動車サニー」(1966年)
  • 森永製菓「バターキャラメル」(1966年)
  • ロート製薬「パンシロン」(1966年、初代「ミスター・パンシロン」)
  • インヘーラー(1968年)
  • 大塚食品「ボンシチュー」(1969年、初代CMキャラクター)
  • サントリー「ナマ樽」(1986年、クレージー・キャッツのメンバーも出演)
  • 日本盛「生貯蔵酒」(1993年)
  • 小林製薬「タフデント」(1999年 - 2002年)
  • アサヒ飲料WONDAアフターショット」(2007年、没後初のCM出演で、桑田佳祐と“共演”。植木主演の映画『日本一のゴマすり男』からの映像をCGで抽出、最新の映像に組み合わせて作られた)

舞台

ディスコグラフィ(ソロ名義)

アルバム

  • ハイ、およびです(1966年)
  • 女の世界(1971年)
  • スーダラ伝説(1990年)
  • 植木等ザ・コンサート“いろいろあるよ、いろいろね”(1991年)
  • スーダラ外伝(1992年)
  • 植木等的音楽(1995年)

シングル

  • スーダラ伝説(ここからの5枚は1990年発売、この曲ではミュージックステーション紅白歌合戦などに出場、オリコントップ10入り)
  • 花と小父さん/笑えピエロ(クレージー時代のリバイバル、「花と小父さん」は当時伊東きよ子との競演の予定でレコーディングし、浜口庫之助も元々植木をイメージして作ったとのことである)
  • 二十一世紀音頭/地球温暖化進行曲(「二十一世紀音頭」は三波春夫との競演)
  • 少年の日の夢/銀座イエスタディ
  • 今日もやるぞやりぬくぞ
  • 針切じいさんのロケン・ロール(1995年、アニメ『ちびまる子ちゃん』エンディングテーマ、シェブ・ウーリーの『ロックを踊る宇宙人』のカバー)
  • サーフィン伝説/FUN×4(1995年)

演じた俳優

主要歌唱曲

  • 1961年 - スーダラ節、こりゃシャクだった
  • 1962年 - ドント節、五万節無責任一代男、ハイそれまでョ、これが男の生きる道、ショボクレ人生
  • 1963年 - どうしてこんなにもてるんだろう、ホンダラ行進曲、ギターは恋人
  • 1964年 - 馬鹿は死んでも直らない、だまって俺について来い、無責任数え唄
  • 1965年 - ゴマスリ行進曲、悲しきわがこころ、遺憾に存じます、大冒険マーチ
  • 1966年 - 何が何だかわからないのよ、シビレ節、それはないでショ、笑えピエロ
  • 1967年 - 花は花でも何の花、余裕がありゃこそ、万葉集、たそがれ忠治
  • 1969年 - ウンジャラゲアッと驚く為五郎、酒のめば
  • 1970年 - 全国縦断・追っかけのブルース、おとこ節
  • 1971年 - この際カアちゃんと別れよう、こんな女に俺がした
  • 1979年 - これで日本も安心だ!
  • 1986年 - 実年行進曲、新五万節

影響

脚注

関連項目

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出典:「フリー百科辞典ウィキペディア」(2009-01-01)
Text is available under GNU Free Documentation License.

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